大河ドラマ『花燃ゆ』の前評判なんて気にするな!
大河ドラマ『花燃ゆ』の前評判なんて気にするな!
旦那様は維新志士
「物語」として楽しもう
大河『花燃ゆ』の前評判が、なんかネガティブな表現多いですねぇ、杉文(すぎ ふみ)なんて知らんとか、なんで高杉とか桂じゃないんだ、とか。
なんだか勘違いされてる方が多いような気がしますが、大河ドラマっていうのは「物語」なんです。
多くの部分を史実をもとに描かれてますが、創作が大量に入っていたとしても全然問題ないわけです。
史実を知ってれば、より楽しめるけれども、ほとんど知らない人が見ても楽しい、そんなドラマが求められるわけです。
そうした中で文という女性を軸に長州藩の幕末〜明治維新を描いていく、題材としてはかなり面白いんじゃないかな、と調べてて思いました(笑)
思う存分井上真央を堪能すればええじゃないですか。
実際問題、吉田松陰や高杉晋作じゃあっという間に終わっちゃうし、桂小五郎や伊藤博文は…ドラマとしてめちゃくちゃ地味だと思いますよ。
彼らどっちかというと表舞台向きの仕事じゃなかったので。ついでに言えば伊藤博文は長期海外ロケが必要なので、さらに厳しかったりするんじゃなかろーか…じゃあ松陰先生お気に入り、文の旦那様である久坂玄瑞はどうなのか?
残念ながら吉田・高杉組と同じ理由で無理です。っていうかもっとひどいです。
玄瑞くんからお手紙ついた
久坂玄瑞は、天保11年(1840年)長州藩の医者の三男として生まれます。
小さいころから秀才と評判だったようです。しかし十四歳の時父・母・兄が相次いで他界、玄瑞は家業の医者を継ぎ久坂家の当主になります。
公費で藩の寄宿舎に住めるほど成績優秀だった彼。九州へ遊学中にある人物を紹介されます。そう、吉田松陰です。因みに紹介した人は、松陰先生と一緒に東北旅行した友人です(宮部鼎蔵って名前です)…いいのだろうか?私だったら絶対紹介しないですよ?
以前から松陰先生の評判は聞いていた玄瑞くん、入塾するために松陰先生にお手紙をしたためます。
その時に「日本に来た外国人はみんな切り捨てて国を守ったらいい」と自説を披露…いや、玄瑞くんが異常なんではありませんよ。
当時日本の知識階層のほとんどは似たような考えです。(尊王攘夷思想って言います)
先生に賞賛してもらってから入門したかったんでしょうね。
しばらくして松陰先生からお返事がきました。内容を大雑把に現代訳すると「空論もいいとこ、現実見ろよ、僕はこういった頭の中だけで考えたようなのが一番嫌いなんだ。若造のお前さんがするべきことはもっと他にあるだろう?勉強とか、勉強とか、勉強とか」
これを見た玄瑞は激怒しました。
激おこです。
怒りにまかせて「無礼じゃないか!あんたの周りから聞こえてくる評価は嘘なのか?もしそうなんだったら、あんたは最低だ」とお返事
実は先生、手紙を見て玄瑞を評価していましたが、同時に「実践」のない理想論に危うさを感じていました。そこで敢えて厳しい言葉をぶつけ、そのことを悟らせようとしました。
結局、松陰先生からくる手紙を怒りにまかせて返信していくうちに説得され、玄瑞は松下村塾に入ることになります。
安政4年(1857年)、松陰先生が投獄される1年前のことです。
…今回は割と先生の良い話をしているので「お前が言うな」なんていわないであげてください…