吉田松陰仰天エピソード
先生のご乱心を弟子が止め…られなかったようです
妹と結婚してくれないか
主人公、文の最初の夫である久坂玄瑞は、松陰先生の大のお気に入りだったようです。
「防長第一流」とまで賞賛し、もう一人のお気に入りであった高杉晋作と競合させ、才能を高めあうよう仕向けました。
末妹 文の縁談話が持ち上がったのはそんな時期。
当時玄瑞18歳 文15歳…今だったら中高生カップルって感じですね。
大河ドラマ花燃ゆでは仲睦まじい感じの描写されるんでしょうね、爆発すればいいのに…
ウィキペディアに、文の顔が好みじゃないって愚痴ったら先輩に怒られた的なエピソードが書いていましたが、きっと気のせいです。
話を戻しますが、妹を嫁がせるくらい玄瑞をきにいってた、ってことなんでしょうね。
その後の玄瑞は松陰先生の思想に操られるように後を追っていきます。
ちょっと大老殺してくる
故郷の萩で若者を育成するために塾を開いていた松陰先生、講義なのかでの幕府批判はやがて「暗殺によって人事を一新するしかない」とまで言い出すようになります。
この頃の幕府はちょうど「反動」の時期、乱れてしまった幕藩体制の秩序を引き締めよう、としていた時代です。
これが「安政の大獄」幕府にとって都合の悪い思想の持ち主を徹底的に弾圧しようとしました。
長州藩首脳陣も頭痛かったでしょうね…
ただでさえ目を付けられているのに、平気で若者相手に幕府批判を刷り込んでいる。
喧嘩売ってると思われても文句が言えません。
ついに長州藩に対して「大老を暗殺したいから手を貸してください」とまで言い出すようになり、再び野山獄に投獄されます。
これには弟子たちもドン引きで「先生、ちょっと頭ひやしてください」と連名で血判まで押した文章まで渡されています。
もうこのあたりまで来ると藩も庇うことができず江戸へ送られ斬首、享年29歳でした。
結果的に松陰先生個人は何もできなかったに等しい最後でした。
非業の死ともよく言われますが、事実を順を追って当時の時代背景を考えれば、死罪になって当然な人です。
しかし、その死を恐れない行動力と、日本を何とかしたいという強い思いを弟子たちに伝えた功績は大きいと思います。
最後に松陰先生の辞世の句的な(斬首なので辞世の句は残せない)もので最期を締めくくりたいと思います。
身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂