吉田松陰アメリカデビュー?の裏話
吉田松陰アメリカデビュー?
先生がご乱心のようですエピソード2
長州藩藩主 毛利敬親
今度の大河ドラマ、毛利敬親(もうり たかちか)役は北大路欣也さんじゃないですかー!!
シブい!渋過ぎる!
史実ではこの殿様「そうせい候」というあだ名がついてまして、部下たちの提案を何でも「そうせいそうせい」とOKしてたからなんだとか…
北大路さんにもこの言葉、言ってほしいですね、
幕府に2回ほど討伐されたり、朝敵(朝廷の敵)になったり、イギリス・オランダ・アメリカ・フランスとかに攻撃されたりするけど、北大路さんなら大丈夫です…
多分この人も先生の「やらかしたエピソード」に一枚かんでます。
そうだ、アメリカへ行こう
一度は脱藩し罪に問われたものの、藩主敬親候に許され、再び江戸へやってきた松陰先生、ここで彼は運命的ともいえる事件に遭遇します
嘉永6年(1853年)、アメリカのペリー提督率いる4隻の黒船が浦賀に来航、翌安政元年には7隻で下田にやってきました。
そこで思いついた松陰先生「そうだ、アメリカ行こう」
いや、多分昔から外国に行って見聞を広めたいと思っていたんでしょうね、
そんな状況で黒船を見てしまって我慢が出来なかったと、思いついたら即行動の松陰先生、早速近くの小舟を盗み、ほとんど着の身着のままで船に辿り着きます。
そして密航の交渉するも失敗。帰ろうとするけど小舟が無い、荷物ごと流されてしまったようです。
荷物が幕府の手に渡って罪に問われるならいっそ、ということで自首。今度こそ故郷の萩へ強制送還され、野山獄というところに投獄されます。
この時松陰先生まだ20代半ば、それで前科3犯なんて…ちなみにこの事件、アメリカのほうでむしろ有名になり、新聞にも載りました。
松陰先生ついに(名前だけ)アメリカデビュー、やったね!
この事件のせいで、師匠の一人であった佐久間象山が危うく死罪になりかけたり、弟子で今回の事件で一緒に行動した金子重輔という人が獄中死していますが…それは言わないであげてください…